瓊浦高校

建学の礎

建学の礎

本校は大正14年、長崎市桜馬場町に瓊浦女学校として中村安太郎先生によって創設された。
先生は県立静岡中学校長(旧制)をはじめ、県立長崎中学校長などを歴任され、有為な青少年の育成に努められたが、退官後その豊富な教育経験をもとに、当時ようやくその重要性が認識されてきた女子中等教育に対する深い理解から、桜馬場の地に瓊浦女学校を創立された。
学園の教育を支えた基本理念は、将来家庭や社会を担う女性としての人格の育成、生徒への教育愛に根ざす家族主義、実際に役立つ教育の実践に沿った履修科目の多様化・近代化の3つである。これらは節度ある中に楽しい学園の雰囲気を醸成する源となり、学園の建学の精神として確立された。戦後の学制改革により、男女共学の瓊浦高等学校と改組されたが、この建学の精神は普遍的教育理念として学園の教育活動の底流となっている。
先生の建学の精神は「誠実・和・勤勉」の校訓として受け継がれ、本校教育活動の底流となっている。

校名について

「校章」

昭和24年、男女共学制の新制高等学校のスタートによって、瓊浦女学校時代のものは廃止され、選考委員会のもとで今日のものが制定されました。当時、本校教諭の西村勝巳先生が原案を製作し、3枚の柏の葉は男子の質実剛健の気風を表し、勾玉は真心・誠実を意味し、女学校時代の伝統を継承しています。

「校訓」

創立以来、瓊浦女学校時代は「謙譲・勤勉・真心」を掲げていましたが、昭和24年新制高等学校として再発足してから、現在の「誠実・和・勤勉」に改訂され、今日に及んでいます。

「校歌」

昭和27年、国語担当の寺田徹先生の作詞、音楽担当の三浦真先生の作曲によるものです。歌詞の中の「金剛石」は、創立以来の本校の教育精神としてくみ入れられた昭憲皇太后の御歌“金剛石も磨かずば玉の光は添はざらん人も学びて後にこそ誠の徳はあらわるれ時計の針の絶え間なくめぐるが如く時の間も日かげ惜しみて励みなば如何なるわざかならざらん”に由来するものです。

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